「役割創造project」とは、キャリア発達・キャリア開発とその支援という観点から、日本のミドル・シニア人材の「働き方改革」をライフワークスらしく実現していく取り組みです。

2018.05.10 個人の活躍

社内公募に応募し、56歳で技術部門からCSR統括部へ。
キャリアを生かし、東北の復興支援に携わる

社内公募に応募し、56歳で技術部門からCSR統括部へ。 キャリアを生かし、東北の復興支援に携わる

ソフトバンク株式会社CSR統括部のメンバーとして東北の復興支援活動に取り組む鈴木利昭さん。技術部門でキャリアを重ねてきた鈴木さんが自ら手を挙げて56歳で現在の仕事に携わるまでの経緯や、新たな挑戦への想いについてお話をうかがいました。

CSRの仕事を通し、東北復興に向けてより地域に寄り添った支援を実現したい

---現在のお仕事について教えていただけますか?

CSR統括部の地域CSR部に所属し、ソフトバンクの社会貢献活動を担当しています。子どもたちのプログラミング教育や地域や社会の課題解決を目的に人型ロボット「Pepper」を3年間貸し出すソフトバンクグループの「Pepper社会貢献プログラム」や、オンライン動画を活用して学校の部活動指導を支援するソフトバンクの「ICT部活動支援」などのプログラムを自治体や非営利団体に知っていただく仕事です。また自治体が抱えている地域課題をうかがい、ソフトバンクとして一緒に課題解決に向けて取り組んでいければと思っています。一方で、公益財団法人東日本大震災復興支援財団の東北事務所の職員として東北の復興活動にも携わっていまして、業務の比重はこちらが高いです。

---公益財団法人東日本大震災復興支援財団とは?

当社取締役会長・孫正義が発起人の一人となった、東日本大震災で被災されたお子さんたちへの支援活動を行う公益財団法人です。給付型奨学金事業や、子どもたちの支援活動に取り組むNPOやボランティア団体の助成などを行っており、私が主にかかわっているのは後者。岩手・宮城・福島の各地域に足を運んで、現地で本当に必要とされている支援とは何かを把握し、助成の方針を策定するのがミッションです。
各助成団体とは被災地の子どもたちの支援を一緒に伴走させていただいています。

東日本大震災から7年が経過し、街並みの復興は進みつつありますが、全国の避難者数は未だに7万人を超えており、人々の暮らしの立て直しは道半ば。被災地の支援活動を行う団体や、支援を受けられている方々とのコミュニケーションを深めることによって、東北の皆さまの生の声を東京事務所に届け、より良い支援を実現したいと日々活動に取り組んでいます。


技術畑出身。東日本大震災時は不眠不休でネットワークの復旧作業に当たった

---CSR関連の業務を担当されるようになったのはいつごろからですか?

2017年4月からです。それまでは技術畑だったんですよ。1989年に通信機器関連会社からの転職で日本テレコムに入社し、東北エリアをメインに通信ネットワーク設備・基地局などの保守・運用に携わってきました。

---M&Aで社名が変わり、日本テレコムは2006年にソフトバンクテレコム、2015年にはソフトバンクモバイルに。環境変化の中、ソフトバンクのネットワーク設備の礎を築いてこられたわけですね。

携帯電話のネットワーク構築には1995年から携わり、当時の所属はデジタルツーカー(ソフトバンクの前身企業のひとつ)でした。日進月歩で成長する分野ですし、企業間の競争が激しく、大変なこともありましたが、新しいことを学び続けるのは性に合っていたように思います。資格取得など能力開発は常に心がけ、後輩たちにも「学び続けることは大事だよ」と話してきました。

---社会貢献活動やCSRには以前から関心がおありだったのでしょうか。

きっかけは東日本大震災でした。当時私は50歳で、宮城県の利府町にある東北ネットワークセンターのセンター長を務めていました。午後2時46分に地震が起き、まずは社員の安全を確保してホッとしたのも束の間、東京の本社からの連絡で津波の被害を知らされ、その後1カ月は現地対策本部の本部長として不眠不休でネットワークの復旧に当たりました。携帯電話は各地に設置された基地局から端末に電波を送ることで使えます。震災では広い地域の基地局が被害を受けており、一局ずつ状況を確認して復旧していくのですが、津波による瓦礫や地震によるがけ崩れ・亀裂で道路が寸断、さらにガソリンの供給不足もあって、復旧が思うように進まない地域もありました。

---大変でしたね。

必死でした。他社に先駆けて通信を回復できた地域ではみなさんから「ありがとう」と言っていただけ、あの時ほど通信の仕事をしていて良かったと思ったことはないですね。一方、復旧が遅れた地域では「今ごろ来ても、遅いよ」とお叱りも受けました。テレビのニュース番組で聞いた「あと30分携帯が使えたら、うちのおばあちゃんが助かったかもしれないのに」という被災者の方の言葉が心にずしりと響きました。

ユーザーの方たちに二度とそんな思いをさせないために、より災害に強い通信ネットワークを作らなければという切実な気持ちがありましてね。上層部にも話していたところ、東京の本社に異動。2011年10月から災害対策室の責任者として災害対策の基準・ガイドラインづくりや災害設備構築に4年弱携わりました。役職を外れた55歳直前に東北ネットワークセンターに戻りましたが、東京では「他社に負けない」と思える災害対策のスキームを形にすることができ、後進も育っていたので、安心して業務を託すことができました。

その後は地元の東北で技術継承に力を入れていくつもりだったのですが、たまたま社内のジョブポスティング制度(社内公募)の通達がありましてね。CSR統括部が50歳以上の社員を対象に、東北事務所および東日本大震災復興支援財団のメンバーを募集していることを知りました。応募条件の「東北の復興に対し、熱い思いを持つ方」という条件を見て、これはまさに自分のことだと。被災地の方々に寄り添いながら、災害対策の経験も生かして少しなりともお役に立てればいいなと考えて応募をしました。


社内公募に応募し、CSR統括部へ。以前とは異なるものの見方、考え方を知った

---畑違いの仕事に戸惑いはありませんでしたか?

ジョブポスティングに応募したのは、被災地復興への思いはもちろん、技術畑以外の仕事に挑戦することにより、さまざまな人たちとの出会いも生まれればという気持ちからでした。ただ、自分が新たな分野で力を発揮できるかどうか自信があったわけではありませんし、異動後はそれまでの部署との仕事の進め方の違いに戸惑う場面もありました。例えば、設備投資をするかしないかを決める時に、技術部門では「1か0か」というデジタルな判断をすることが多かったように思います。ところが、被災地の団体への支援を決定する場合はそういうわけにはいきません。現場にはさまざまな事情がありますから、幅広い意見を聞きながら判断をしていく必要性があります。「答えがひとつではない」というところに難しさを感じていますが、これまでとは異なるものの見方、考え方を知ることができたのは私にとって大きな意味があると思っています。

技術部門からCSR部門に移って1年。なんとか業務を進めてこられたのは、周囲の協力があってこそです。特に同時期にジョブポスティングに応募した、営業部門出身の同僚ふたりには多くを教わっています。私は社外との折衝経験があまりなかったので、彼らからコミュニケーションの機微を学びながら支援団体の方々との関係を少しずつ築いてきました。


自分が実績を残すことで、後輩たちの道を開きたい

---今後の展望をお聞かせいただけますか?

rc_p_180412_02.jpg60歳までは今の業務を全うしたいと考えています。まだ勉強中の身で、偉そうなことは言えないのですが、私自身が東北の支援活動で実績を残すことにより、「年齢に関係なく、新たな分野への挑戦はできるんだよ」と後輩たちに思ってもらえたらという気持ちがあるんです。当社では65歳までの継続雇用制度があり、経験を生かして技術部門で働き続けるのもひとつの道だったと思います。ただ、私自身には役職を外れた後も「まだまだ新しいことをやってみたい」という気持ちが心のどこかにありました。そんな時にジョブポスティグの通達があり、過去の経験や技術よりも取り組みへのコミットメントを問う募集だったので、「やってみようかな」と気軽に応募ができた。会社がチャンスをくれたことに感謝しています。

60歳以降についてはまだ考えていませんが、東北復興への道のりは長く、被災地には困っていらっしゃる方々がたくさんいます。お役に立てる限り、東北の支援活動は続けていきたいと思っています。


プロフィール

鈴木 利昭さん 1961年生まれ。通信機器関連会社を経て、1989年、日本テレコム株式会社(現・ソフトバンク株式会社)入社。以来、通信ネットワーク設備・基地局等の保守に携わる。2006年4月より東北ネットワークセンター長を務め、2011年の東日本大震災後は被災地で現地対策本部として復旧対応に当たる。2011年10月より東京の災害対策室の責任者として災害に強いネットワーク構築に携わり、災害対応の社内スキーム作りを行う一方、自治体、自衛隊、海上保安庁などとも災害協定を締結して訓練を実施するなど、連携を取る。東北をCSRの立場から支援できればとの思いから、2017年4月からCSR統括部に所属。孫正義氏が発起人として立ち上げた東日本大震災復興支援財団の職員としても活躍している。電気主任技術者、第一級無線技術士、消防設備士、防災士、宮城県防災指導員など数多くの資格を持つ。

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