人的資本経営の背景を時系列で理解!「ライフステージと個人特性に対応したキャリア自律」を目指す政策の動き(前編)

人的資本経営を目指し人材育成に力を入れる企業が増えつつあります。
本記事では、失われた10年を経て、働き方改革から人的資本経営へと向かっている日本国内での経過を、時系列で解説します。

人的資本経営実現に向けた推進にあたり、
自社が今どんなフェーズで、どんな点から始める必要があるかをご検討の際に、ご活用いただけますと幸いです。
本記事は前編となります。

2023.01.10
専門家コラム

1.人的資本経営において現在、発信されている論点について

人的資本経営は、特に中長期の経営戦略に繋がる人についての戦略を積極的に検討し、企業経営を成長に向けて推し進める起爆剤になります。具体的には、企業におけるパーパス遂行や実現、マネジメントの効果性の向上や企業風土の改善、中長期の確実な成長に結びつけられるような、大変有用な施策だと考えられます。

一方で、重要な流れであるからこそ多方面から多様な角度の情報が発信されており、それによって「人的資本経営」とは何かが非常に分かりにくく、抽象的なイメージになっている現状があると思います。

人的資本経営の論調として、いくつかの問題を感じています。例えば、制度の各論へのこだわりが強すぎたり、非財務情報全体、あるいはIRの視野で問題を捉えすぎてたりなどの傾向が見られます。国内の人事労務・法務関係の制度と矛盾した文脈での理解、または「とにかくシステム整備が重要でそれを行えば良い」などというテクノロジーの偏重姿勢なども散見されます。

また「国際指標を使ってデータ整理と表示を行うことが人的資本経営と開示だ」という風潮もよくある誤解だと思います。ISO30414やGRIやSASBなどの国際指標は、独自のストーリーが決まった後にKPIを決定したり検証したりするための補助ツールです。こうした位置づけは国際的な認識でもあり、「人的資本可視化指針」等の資料でも明示されています。

また、ジョブ型人事制度の導入も、重要な課題ではありますがツールのひとつであり、育成・リスキリングとともに選択肢のひとつであって目的ではないということも重要なことです。そもそも人的資本経営とは何であるか、ということは、寄稿記事でも記載しました。

2.日本特有で最大の問題「ライフステージや特性に応じた活躍とキャリア自律の支援」

特に人的資本経営において重視すべきポイントは「ライフステージや特性に応じた活躍とキャリアの自律の支援」、働き方改革から続いている「多様な働き方の支援」だと言えます。日本で進んでいる人的資本経営おいては「働き方改革」として既に先行する法令が多く行われ、それらを接続発展する位置づけだと言える「制度開示」と呼ばれるものが多数あることが最大の特色です。

たとえば、女性活躍推進法・次世代法・育児介護休業法においては、結婚や育児の必要性が生じた時に仕事を存続して育児を継続するか、家庭を一時期重視して仕事を休業・退職するか、自律的な判断が必要であり、その決定に応じた活躍が図れているかという論点が提示されていると言えます。
その後も、家庭での夫婦や家族の協働によって雇用を存続しやすくすること、一度仕事を離れた後も再チャレンジが可能な働き方にしていくことも重要な選択肢であり、これら課題に対して雇用関係で行われている施策が今回の開示においても重視されています。

筆者は、こうした女性活躍推進法や次世代法、健康経営や副業推進などについて、人材戦略に基づく計画の立案や開示に、数十社を遥かに超える企業で関与してきました。日本における人的資本経営は、制度全体がこのような既存の人事労務関係の制度と接続し、各企業がさらに本気で対応することを迫るものになっています。

3.人的資本経営についてよく言われる情報について

よく言われる「人的資本経営とは何か」の考え方について、よく目にする観点をまとめます。

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今までに述べた通り、上記はどれも人的資本経営の実施の時の選択肢の1つやツールであり、「~が人的資本経営だ」という言及自体を行うことの疑問があります。
育成施策や人事制度等の検討はほとんどの企業で課題視される場合が多いとは思いますが、課題設定によっては必ずしも必要ではなく、最優先事項かどうかは企業や状況によって違います。また、国際指標の選択や活用は、人材戦略の方向性と目的によって検討すべきものだと思います。

人的資本経営とは「人的資本課題を中長期で設定し、人事労務の戦略も視野に入れた経営手法」です。かつ、働き方改革からの「多様な働き方の徹底」が重要であり、日本だと特に重視される「雇用存続や活躍に関する」観点で、または、「ライフステージや特性に応じた活躍ができているか」という観点でのダイバーシティ実現やキャリア自律に関する課題は特に重要であり、こうした問題は、日本における人的資本経営課題の中心となってくるものだと思われます。法定の制度開示の背景には、そうした課題意識があります。

4.時系列で理解する、人的資本経営に関する政策と国内外の経緯

前項で見たような人的資本経営の目的について、今までの人的資本経営に関する制度の経緯を時系列で記載し、現在に至る流れから考察できればと思います。「ライフステージと個人の特性を吟味したキャリア自律」を目指す経緯に注目してお読み頂ければと思います。また、制度の経過を背景にして考察した時に、人的資本経営の概念についても使い方や目的が考察できるため、それについても記載致します。

・1990年代
バブル崩壊が起こり、日本国内で今までの働き方や企業のあり方を見直す動きが起こり始めました。
日本企業では成果主義に急に振り向ける動きが起こりました。そしてこの頃から、企業の雇用環境についての意識や社会的な平等についての意識が高まり始めました。男女雇用機会均等法の施行でセクシャルハラスメントが禁止されたり、労働法制度の整備が行われ労働時間などの法制度が段階的に整備され、メンタルヘルスや健康安全に関する法制度の整備が徐々に進みました。少子高齢化への問題意識も高まり、こうした流れが働き方改革による徹底した雇用ルールの整備を経て、さらに個別の企業における雇用の課題設定を行う人的資本経営に繋がる源流になったと言えます。

同時期に、欧米においては、ESGの考え方が徐々に広がる動きが起こりました。
2006年に国連が提唱した「責任投資原則」(PRI: Principles for Responsible Investment)では、企業の社会責任、持続性や人権の観点で、人的資本についての概念も見られます。2008年のリーマンショックを契機に欧米グローバル企業の多くがESG経営に本格的に向き合うようになり、CSRによる社会貢献活動が主流であった流れから、中長期の価値向上と持続性を主体とする視点が本格的に出てくるように変化しました。こうした流れのなかで、グローバル規模においても現在の人的資本に繋がる様々な角度からの取り組みが出てくるようになってきたものと言えます。

・2015年
日本においては健康経営銘柄の選定が行われるようになり、同年に女性活躍推進法が施行されました。いずれも、企業の健康の維持発展や女性の活躍について、自社で分析・課題化を行い、行動計画や結果を把握するような法体系です。健康経営については、米国で行われていた制度を参考に、日本の課題認識に基づいて創られた制度でした。こうした課題設定を行うタイプの法令はこれ以前にもあったのですが、2015年はそれが本格的に始まった年であると言えます。労働安全衛生法においても、この時期からメンタルヘルスについて、自社での課題化や対応を行う法制度が増えていきます。これらは全て、現在の人的資本経営の制度開示の基盤となっています。

・2016年
国際的な動きとしてGRI(Global Reporting Initiative)が、それまでGRIガイドラインとして原則主義的に存在していた枠組みを明確化し、細則主義に立つGRIスタンダード2016を発行しました。
規定された内容の中で、企業の社会責任としてのESGのS、ソーシャルについては、サプライチェーン含めた市民社会との連携や、人権観点での強制労働の禁止、報酬の適切性、男女を含む平等性などが各論的に規定されています。

・2018年
米国のサステナビリティ会計基準審議会(SASB:Sustainability Accounting Standards Board)がSASBスタンダードを公開しました。SASBスタンダードは、GRIスタンダードに比較して、業種別の基準となっていること、広く産業観点での環境や持続性についての基準を持ってることが違いです。

ESGの指標である、上記のようなGRI SASB、他にもWEF等が存在しますが、これらはサプライチェーン全体を含む企業の社会責任・人権保障を重視した観点を列挙する、という観点で作られている指標です。観点を列挙する考え方はそれぞれの指標で相違があります。社会責任という点は日本の国内法の制度開示と相性が良いのですが、日本の国内法の制度開示では課題のプロセスごとの分析を事業主の行動計画で行うことが定められている法令があり(女活法ほか)より深い分析を求めていると言えます。

たとえばGRIスタンダードの中に男女賃金差の開示の項目が存在しますが、ESGの観点で列挙して開示を行うことが求められているのみになっています。
日本の女性活躍推進法では、一般事業主行動計画の立案時に、課題の整理と分析と課題設定、KPIとする指標の選定、結果の開示までの一連のプロセスの実行が求められており、上記のESG指標よりも深い分析と開示が求められていると言えます。

この続きは後編となります。
後編公開までしばらくお待ちくださいませ。

著者:松井 勇策

(社会保険労務士・公認心理師 / フォレストコンサルティング経営人事フォーラム代表・情報経営イノベーション専門職大学 客員教授(専門領域:人的資本経営・雇用実務)

人的資本については国際情報から関連する国内の制度までを2020年当時から研究・先行した実務に着手。人的資本の国際資格であるGRIスタンダード公式講座修了認証・ISO30414リードコンサルタント等を保持。ほか関連するIPO上場整備支援、人事制度構築、エンゲージメントサーベイや適性検査等のHRテック商品開発支援等。前職の㈱リクルートにおいて、組織人事コンサルティング・東証一部上場時の上場監査の事業部責任者等を歴任。 著書「現代の人事の最新課題」日本テレビ「スッキリ」雇用問題コメンテーター出演、ほか寄稿多数。

★最新の著書
人的資本経営と開示実務の教科書1: 人的資本経営の全体像 人的資本経営と開示の重要ポイント

HP : https://forestconsulting1.jpn.org/
Facebook : https://www.facebook.com/matsuiyusaku/
Twitter: @ForestMatsui

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