人的資本とは?開示が求められる背景や日本の動きをわかりやすく解説

個人の能力を資本として捉える「人的資本」の考え方へ、世界的に関心が高まっています。近年の国内においては、経済産業省が人的資本を研究会の題材とする動きも見られ、今後のビジネスシーンでも重要なキーワードとなりそうです。企業の内部に限らず、ステークホルダーからも重視される傾向にあるため、人的資本を重視した経営へのシフトを視野に入れると良いでしょう。

本記事では、人的資本の基礎知識を解説します。人的資本の情報開示が重視される背景や、人的資本経営を推進するコツまでお伝えしますので、ぜひ参考にご一読ください。

2022.08.18
コラム

監修者紹介

松井 勇策さん

松井 勇策(まつい・ゆうさく)

(社会保険労務士・公認心理師[人的資本の国際資格]GRIスタンダード公式講座修了認証ISO30414リードコンサルタント)

東京都社会保険労務士会 先進人事経営検討会議議長・責任者。㈳人間能力開発機構 評議員。人的資本については国際情報から関連する国内の制度までを2020年当時から研究・先行した実務に着手。ほか関連するIPO上場整備支援、人事制度構築、エンゲージメントサーベイや適性検査等のHRテック商品開発支援等。前職の㈱リクルートにおいて、組織人事コンサルティング・東証一部上場時の上場監査の事業部責任者等を歴任。心理査定や組織調査を研究機関で研究中。 著書「現代の人事の最新課題」日本テレビ「スッキリ」雇用問題コメンテーター出演、ほか寄稿多数。

人的資本の基礎知識

初めに、人材マネジメントで注目される「人的資本」の意味や歴史、似た用語との違いについて解説します。用語の基本を押さえるために、複数の観点から確認していきましょう。

人的資本とは

「人的資本(Human Capital)」は時代により意味の変遷がある言葉です。現在は、エンゲージメント・ダイバーシティ・生産性・スキルなど、現代において働く個人の価値発揮の度合いが把握できるような指標のことを指すといえます。

人的資本の意味合いは、グローバルでも国内でも創り上げられている途上にあります。何をもって人的資本とみなすかの基準は、国や関連団体などによって異なりますし、把握や改善の方法もさまざまです。

人的資本を重視した経営は「人的資本経営」と呼ばれます。人的資本経営にも多くの定義がありますが、2022年に国内で政府から発出された「新しい資本主義の実行計画」においてその考え方の根本が見られるといえます。「新しい資本主義」とは、「企業も個人も社会課題の解決と経済的な成長を両立していくこと」だと定義されています。そこにおける人的資本経営は、新しい資本主義で定義された社会課題の解決と経済的な成長を、個別の企業や個人で行っていくことであるといえます。

現代社会で解決が必要な、働く上での社会課題はさまざまです。多様な働き方の実現や、従業員エンゲージメント向上に向けた取組み、個人が組織で力を発揮し続けるための育成などです。これらは、企業の経営課題であるとともに、解決すべき社会課題であるといえますが、その解決を通して経済的に成長していくという考え方が人的資本経営の基盤にあります。

さらに具体的な内容として、健康的に働ける職場環境の整備、柔軟な働き方の推進、従業員のキャリア自律支援、などが挙げられます。このように、人的資本経営の取り組みでは、経済的な収益性だけでなく、社員の幸福感や健康などの非経済的な利益の獲得に目を向けることとの両立が特徴であるといえるでしょう。

~人的資本経営への流れの背景~

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人的資本の歴史

人的資本の考え方は、アダム・スミスの「国富論」で登場したとされています。そして、その後は経済学者らによって人的資本に関する研究が行われてきました。経営学上の流れとしては、人が後天的に得たスキルや知識などを資本と捉える傾向にあったようです。しかし、のちに人の先天的な能力や属性なども資本の1つであると考えられるようになりました。現代においては、個人が持つ多様な力や属性、組織の状態を含めて人的資本としてみなされる在り方に変化しています。

人的資源との違い

人的資本と似たものに「人的資源(Human Resource)」の考え方があります。人的資源は、人を企業経営の資源と捉える考え方です。企業にとっての資源である人材へかける費用は、消費されるコストと解釈されます。人材へかける費用は使った分だけ減るとみなされるので、企業にはなるべく削減することが求められます。それに対して人的資本の考え方では、多様な個人は企業の価値を最大化させることができると捉えることから、人材にかける費用を投資として捉える点が大きな違いです。企業は投資によって売上への効果や企業価値向上をはじめとしたメリットを得られると考えられます。

人的資本に関する世界や日本の動き

近年のビジネスシーンでは、人的資本に関して国内外で関心が高まり、重要視されています。ここでは、世界と日本企業それぞれの動きを見ながら、人的資本がもたらす影響を確認していきます。

人的資本に関する世界の動き

  • ISO(国際標準化機構)による「ISO30414」の公開
    2018年にISO(国際標準化機構)が「ISO30414」を公開しました。ISO30414とは、人的資本の情報開示ガイドラインです。こちらのガイドラインは、あらゆる組織に適用できるとされています。民間企業のほかに、公共機関や非営利団体など、組織の種類や規模を問わずに用いることが可能です。ISO30414では、人的資本がどのようなものを指すのかが定義され、11領域49項目の規格が設定されています。11の領域は以下の通りです。また、それらの関係性を表すと、以下の右の図のようになります。

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    各国の企業がISO30414のガイドラインに沿って情報開示を行うことで、今後は人的資本の情報を社内外から定量的に把握し、企業間の比較ができるようになりました。上記の基準に基づいた適切な公表がなされ、自社の経営陣・人事部門・管理職のほか、投資家などのステークホルダーが情報を活用しています。

  • SEC(米国証券取引委員会)による人的資本情報開示ルールの義務化
    2020年にSEC(米国証券取引委員会)が人的資本に関する情報開示ルールの義務化を決定しました。これにともない、アメリカの上場企業では人的資本の情報開示が必須となっています。施策によって、従来の財務指標のみでは発見できなかった実態が可視化されやすくなりました。例えば、従業員の離職率や人材開発の状況などのデータが開示されています。

人的資本に関する日本国内の動き

前述の世界の動きに対して、日本国内では人的資本に関してどのような動きがあったのか、時系列で確認していきます。

まず2020年9月、「人材版伊藤レポート」が公開されました。こちらは、経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書です。研究会では、近年のビジネスシーンで企業を取り巻く環境の大きな変化を受けて、財務指標のみでは測定できない人的資本の情報を活用することが趣旨となっています。レポートでは、人的資本に関する課題と解決策が取りまとめられています。

続いて2021年6月には、東京証券取引所により「コーポレートガバナンス・コード」が改定されました。コーポレートガバナンスとは、企業が社会的な立場や役割を踏まえて適切な意思決定を行うための仕組みのことです。透明性や公正性を保ちながらも、速やかな意思決定を実行する目的で、コードが主要な原則を示しています。改定後は、人的資本の情報開示の義務化に関する内容が記載されています。

2021年9月には、「非財務情報の開示指針研究会」が開始されました。経済産業省の研究会の中で、非財務情報である人的資本が大きなテーマとして設定される流れとなっています。さらに2022年2月には「非財務情報可視化研究会」が開始され、内閣官房内で人的資本の情報開示について検討が重ねられています。

2022年5月には、「人材版伊藤レポート2.0」が公開されました。2020年9月の報告書に対して、こちらには人材戦略のための具体的なポイントが記載されているのが特徴です。2022年には、人的資本の情報開示について国の方針が明確になるとされています。

2022年6月には、今後の人的資本に関する整備がどのように進むのか、法令や制度の全体像が具体的に組み込まれた形で、内閣府より「新しい資本主義のグランドデザインと実行計画」が示されました。これにより、有価証券報告書等での人的資本関係の情報の開示は2023年の決算期から開始されること、また関連して雇用関係の開示についての法制度も2023年に開始されることが明らかになりました。

2022年6月以降、人的資本の開示に関する政府からの資料や、様々な省庁や関連審議会からの資料も多く出てきており、行政の全体を含んだ大きな動きであることが明らかになりました。7月には内閣府から「人的資本開示指針(案)」が発出され、日本における人的資本経営への取り組みの大枠と個別の法制度の全体像が示されています。以後、個別の制度の整備がさらに急速に進められる見込みです。

~「人材資本」に関する情報の整理~

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人的資本の開示が求められている背景

一体どのような理由から、国内外で人的資本の開示が求められているのでしょうか。ここでは、ビジネスシーンで情報開示へ対応する必要性が高まる背景を解説します。

無形資本の持つ価値が重視されるようになった

無形資本とは、形を持たない資本のことです。人的資本のほか、知的資本や自然資本、社会関係資本などが無形資本に該当します。それに対して、財務資本や製造資本などは有形資本です。昨今は、投資家が投資判断を行う際、企業が持つ無形資本に着目する傾向にあります。その証拠として、SEC(米国証券取引委員会)でも人的資本の情報開示が義務化されるようになりました。ステークホルダーが無形資本を重要視することを踏まえて、企業も自社の無形資本の価値を認識しなければなりません。

ESG投資の重要性が認知されるようになった

ESGとは「環境(Environment)」「社会(Social)」「企業統治(Governance)」の3要素の頭文字をとった略称のことです。ESGの要素を加味した投資を「ESG投資」と呼びます。これからの社会で企業を持続的な成長へと導くには、ESGへの意識が欠かせません。そのため、ESGの評価が高い企業は持続的な成長が期待できると解釈され、投資家からの評価を得やすくなっています。人的資本は、ESGを判断する要素の1つです。

人的資本への関心が高まっている

上記のように世界的にも人的資本への関心が高まるなか、国内においても、経済産業省のレポート公表を機に、多くの企業で課題が認識され始めました。今後は企業を評価する際、財務的な情報のみならず、人に関する情報がますます求められる時代になっていくと考えられています。人的資本の情報開示に関する動きがさらに活発になっていくでしょう。

人的資本の情報を開示する際のポイント

自社の人的資本の情報を開示するために、導入方法や注意点をお伝えします。基本を押さえて情報開示の施策を成功へと導きましょう。

開示する情報を決めてデータを集める

しかし、政策や制度の全体像は見えてきています。有価証券報告書での人材育成指針と社内環境整備指針の開示は、ほぼ確定した内容だとされています。こうした流れをふまえて、各企業は「人の育成に関する方針」を、企業の社会的使命(またはパーパス)と紐づけたあるべき姿に対して、定量的な観点も踏まえた課題設定をし、施策を実行しながら企業価値向上に努めることが重要であると考えられます。

また、社内環境の整備として、賃金やリスクマネジメント、人材戦略全般についての環境整備が必要であることもほぼ確定した情報だといえます。

直接的には女性活躍推進法上の、一般事業主行動計画の書面に記載することになりますが、賃金に関する男女や非正規正規の雇用者の分析などは、法定的な開示項目で義務化されることが決定されています。こうした情報を一体的に把握し、課題設定して推進することが必要だといえます。

ストーリーを重視する

人的資本の情報開示では、ただデータを羅列するのにとどめず、ストーリー性を持たせることが重要とされます。企業が数年先の将来も見据えて戦略を立てていると、社外からの理解を得やすいすいでしょう。開示された情報を閲覧するのは、株主や投資家だけではありません。今や将来の入社希望者や顧客など、さまざまなステークホルダーを想定することが重要です。

人的資本経営を推進するポイント①:3つの視点

人材戦略についての課題設定を行い、どういう点が重要であるのかをまず把握するために重要な位置づけにあるのが「人材版伊藤レポート」であるといえます。最初に発出された書面と、2022年に確定版が公開された人材版伊藤レポート2.0で、それぞれ大枠の人材戦略の捉え方と、具体的な経営の整備の仕方の方向性がまとめられています。

人材版伊藤レポートでは「3つの視点と5つの共通要素」という形で内容が提示されています。3つの視点は主に人的資本を経営において実装するための方法で、企業のパーパス、社会的使命と経営体制について述べたものです。5つの共通要素は人材戦略遂行のための具体例だといえます。

人材版伊藤レポートの内容は、積極的な人材戦略に関するものです。現状の人的資本経営についての全体像の中で見ると、環境整備やリスクマネジメント、コンプライアンスなどに関する内容は言及されておらず、その点を理解して扱う必要はあります。ただ、積極的な人材戦略の立案のためにまず参照するべき内容であることは間違いがありません。

まずは、人材戦略に求められる「3つの視点」について解説します。人的資本経営を実行に移す際、進め方を確認しましょう。

経営戦略と人材戦略の連動

3つの視点の中でもっとも重視されているのが、経営戦略と人材戦略の連動です。両者の課題には密接なつながりがあり、人的資本経営に不可欠とされています。例えば社内でDXを推進する場合、人材採用や人材育成によるデジタル人材の確保が求められます。経営課題改善のためには、どういった人材戦略を採るべきか、または育成するべきかも併せて考えることが大切です。

「As is-To beギャップ」の定量把握

人的資本経営を推進するには、企業の現在の姿(=As is)と企業が目指すべき姿(=To be)とのギャップを定量的に把握する必要があります。その際は、課題別のKPIを設定することで、自社の戦略を定期的に見直せるようになります。経営陣は人事部門と連携して人材データに基づいて指標の認識合わせを行い、期限を設けて達成に向けた状況を注視していきましょう。

企業文化への定着

導入した人的資本経営を自社の企業文化として根付かせ、持続的な企業価値の向上を目指します。理想とする企業文化が醸成されるよう、社員の行動や仕事に対する姿勢などを適切に評価しながら、中長期的に取り組むと良いでしょう。場合によってはパーパスを再考するなど、パーパスに根付く企業文化醸成に向けての変革も求められます。

人的資本経営を推進するポイント②:5つの要素

続いて、経済産業省の「人材版伊藤レポート2.0」で3つの視点と併せて人材戦略に求められる「5つの要素」について解説します。人的資本経営の効果を高めるために、取り組みの共通要素を確認しておきましょう。

動的な人材ポートフォリオ

人材ポートフォリオとは、企業に必要な人材を分析したものです。どのような人材がどの程度在籍しているのか、または将来的にどのような人材が求められていくのかなどを可視化できます。人的資本経営において、人材の技能や資格を把握できるポートフォリオは重要な存在といえます。現時点の人材から戦略を確定させるのではなく、将来の目標から逆算し、どういった人材が必要かを見極めましょう。

~人材版伊藤レポートの諸要素~

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引用:持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~令和2年9月

知・経験のダイバーシティ&インクルージョン

多様性のある個人が各自の知識や経験といったさまざまな力を持ち寄ることで、組織がイノベーションを生み出す原動力となります。人事戦略では、個人の感性や価値観のダイバーシティを積極的に組織へ取り込むことがポイントです。多様な人材の協業を促しましょう。その際は、幅広い属性の働き手を採用するとともに、マネジメント層は多様な人材が活躍する組織運営のスキルを高める必要があります。

リスキル・学び直し

社会が大きな困難に直面しやすく、予測がつきにくいVUCA時代には、企業は経営環境の急変を避けられません。こうした状況下では、社員が将来へ向けて自らのスキルを見直し、リスキル・学び直しへ積極的に取り組めると理想的です。社員が自律的にキャリアを形成するには、企業による支援も欠かせません。自社の経営戦略の実現に必要な能力を特定し、社員のリスキル・学び直しを主導しましょう。

従業員エンゲージメント

従業員エンゲージメントとは、社員の自社に対する愛着や信頼などを指す用語です。組織への貢献意欲に関わることから、従業員エンゲージメントが高い企業では社員が仕事にやりがいを感じたり、能力を最大限に発揮したりしやすくなります。働きがいのある環境を整備し、仕事を通して多様な経験や成長の機会を提供することが重要です。あわせて、健康経営の観点での働く環境の整備への投資も検討しましょう。

時間や場所にとらわれない働き方

近年では事業継続の観点からも、社員が柔軟に働ける環境を整備することが重視されています。既存の業務プロセスやマネジメント手法を見直し、リモートワーク(テレワーク)や在宅勤務の導入を検討しましょう。実現に向けて業務のデジタル化を推進したり、オフィス勤務とリモートワークの併用を検討するのも1つの方法です。ITツールの導入や、サテライトオフィスの確保などにより、リモートワークの円滑化を目指します。

従業員エンゲージメントの詳細については、以下の記事で詳しく解説していますので参考にしてください。
→従業員エンゲージメントとは。論文に見る向上させる方法のヒントと企業の施策事

人的資本を重視する経営への変革を実現するために

今回は、人的資本の基礎知識から、人的資本経営を推進するコツまでお伝えしました。世界的に人的資本の考え方が注目されています。すでにアメリカではSEC(米国証券取引委員会)により人的資本の情報開示が義務化されました。国内では政府全体の重要政策として実施が確定しており、産業界全体も人的資本経営に対応した多くの動きがあります。今後の経営や人事に関する最重要な事項であることは間違いがないといえます。こうした流れを活用し、企業価値を更に向上させるために、人的資本を重視する経営への変革を目指しましょう。ご紹介したポイントを参考にしていただけますと幸いです。

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