知っておきたい「キャリア権」の基本第1回:今、なぜ「キャリア権」が求められるのか ―自分のキャリアを自分のものにしていくために

人々が職業生活を通じて幸福を追求する権利を示す「キャリア権」という考えた方が、個人のキャリア開発および組織のキャリア支援において重要なキーワードとして注目されています。「キャリア権」とは何か、今、なぜ求められるのか。「キャリア権」の理念を実現するために組織や個人はどのようなことに取り組めばよいのか。「キャリア権」の基本を提唱者の諏訪康雄法政大学名誉教授に教えていただきました。全3回でお届けします。

2018.08.01
専門家コラム

「キャリア権」は働く人すべてに当てはまる考え方

諏訪先生は1996年から「キャリア権」という概念を提唱されていますね。企業の「人事権」に対し、個人の「キャリア権」という言葉は初めて聞く人も多いと思います。

キャリア権は「働く人が自分の意欲と能力に応じて希望する仕事を選択し、職業生活を通じて幸福を追求する権利」です。「キャリア」という言葉にはさまざまな意味があり、「キャリア組」「キャリアアップ」といった競争に打ち勝って上昇していくイメージを持たれる方もいるかもしれません。しかし、キャリア権のキャリアとは職業生活(職業キャリア)全体を視野に入れており、「人が仕事を通じていかに自分の価値観や個性にあった経歴を歩むことができるか」を意味します。つまり、キャリア権というのは特定の資格の有無や雇用形態にかかわらず、働く人すべてに当てはまる考え方です。

また、キャリアの広義な概念として人生キャリア(ライフキャリア)がありますが、職業生活と人生は相互に大きな影響を受け合うもので、切り離すことはできません。職業生活の充実が人生の充実、幸福につながると考えています。

「キャリア自律」がより求められる時代に

雇用形態の多様化や「人生100年時代」の到来といった環境変化のなか、当社でも組織で働く方たちのキャリア自律支援を中心に事業を展開しており、「キャリア権」の考え方には大変共感します。ただ、会社員の場合、業務範囲や配置が「人事権」主導で決定され、自分のキャリアについてあまり意識してこなかった人も多いのが現状です。

雇用が保障され、一定の地位や報酬を約束されるなら、それでも大きな問題はなかったでしょう。ところが、国際競争が激化し、技術革新のスピードも加速。今は「終身雇用」どころか一定の長期雇用さえも保障できない企業も多い時代になりました。これまで会社の言う通りにいろいろな仕事をしてきて、専門性が身につかないまま業績不振だからと放り出され、路頭に迷うようなことがあってはたまりません。そうならないよう個人が早い時期から自律的、主体的にキャリアを選択し、能力を開発することが重要だということを、キャリア権の議論を通して多くの人に知っていただきたいと思っています。

日本の正社員、特に大企業の正社員の離職率は低く、「何だかんだ言って、定年まで会社の言う通りにしていれば、大丈夫」と思って、自らのキャリアについて意識し、考える機会を持たない人もいまだ少なくないと思います。与えられた仕事をコツコツやることで、自分では気づかなかった能力を会社に引き出されることも実際には多いでしょう。しかし、会社主導の人事育成システムが行き過ぎて依存体質の社員が増えれば、組織全体にいい影響を与えないことは言うまでもありません。

「やらされ感」が蔓延している組織に、イノベーションは起こせない

全体的に日本の会社員は仕事の「やらされ感」が強く、受け身だと言われることがありますが、これは個人の主体的なキャリア形成が行われにくい人事育成システムの影響も大きいのかもしれませんね。

その通りです。希望通りの仕事とまではいかないとしても、目の前の仕事が自分のキャリアにとってどんな意味があるのかを意識できれば、人はより質の高い仕事をしようという思いを持つようになるものです。その結果、個人が成果を出し、成長しやすくなり、企業や社会の利益にもつながっていくでしょう。

決められた目標に向かって一致団結することが求められたかつての高度成長期とは異なり、今はイノベーションのために個人の創意工夫や、強い動機づけが企業の業績にとって大きな役割を果たす時代です。金太郎飴のように育成された社員に「やらされ感」が蔓延している組織にイノベーションは起こせません。社員にこの仕事は自分の仕事であり、自分たちで業務を作っていくんだという姿勢があってこそ創新は生まれます。近年、キャリア権についてメディアの取材が増え、少しずつ関心を持っていただくようになったのは、「自分の仕事を自分のものとする。自分のキャリアを自分のものにしていく」というキャリア権の理念を時代が必要としているからでしょう。

「キャリア権」の概念は法令にも影響を与えている

ところで、キャリア権は現在、法的にはどのように考えられているのでしょう。

現段階でキャリア権は法的な理念で、具体的な権利として確立されてはいません。ただし、憲法に根拠を置いた概念であり、おもな関連規定を図1に挙げました。これらを個人の職業人生、すなわちキャリアの観点から整理した概念図が図2です。まず、一人ひとりの生存権があり、個人の尊厳・幸福追求の自由があり、社会で活躍するための学習権があります。その先に職業選択の自由と労働権が来ます。この一連の流れからキャリアをめぐる権利、キャリア権を「働く人が自分の意欲と能力に応じて希望する仕事を選択し、職業生活を通じて幸福を追求する権利」と定義づけました。

キャリア権をめぐる法的な位置づけ(図1)

項目概要
個人の尊厳・幸福追求の自由 日本国憲法第13条
職業選択の自由 日本国憲法第22条1項
労働権 日本国憲法第27条1項
奴隷的拘束・苦役からの自由 日本国憲法第18条
生存権 日本国憲法第25条
学習権 日本国憲法第26条
労働基本権 日本国憲法第28条
財産権 日本国憲法第29条

キャリア権の構造図(図2)

キャリア権の構造図

現行の労働法制でキャリア権の考え方を取り入れている代表例としては、2001年に改正された雇用対策基本法や職業能力開発促進法が挙げられます。また、キャリア権を法的に位置づけるための大きな一歩になったのが、2015年の職業能力開発促進法改正です。これにより、「職業生活設計」を行い、それに沿った能力開発をすることが労働者の努力義務になり、その促進をすることが事業主の義務と明記されました。国には、それらをめぐる国民への教育の推進が求められてもいます。キャリアをめぐる専門職である、キャリアコンサルタントを法律上、きちんと位置づける条文も入りました。

キャリア権は実際の法令にも少しずつ影響を与えはじめているんですね。

はい。これからもキャリア関連の規定をおく法令は増えていくことでしょう。ただし、今のところキャリア権は理念の域を出ておらず、関連の法規定も「努力義務」「配慮義務」に留まっているのが事実です。散在するキャリア関連規定を一刻も早く統合し、「スポーツ基本法」のように「キャリア基本法」とでもいった、生涯にわたってキャリア形成を体系的に支援する基本法の制定が望ましいと考えています。


第2回では「人事権」と「キャリア権」の衝突をどう考えればいいのか、また、具体的にどのような工夫をすれば、組織全体の成果を上げながら、社員のキャリアを尊重できるのか、実践例とともに教えていただきます。

第2回:個人の「キャリア権」と企業の関係 ―「人事権」と「キャリア権」

諏訪 康雄(すわ やすお)

法政大学名誉教授 / 認定NPO法人キャリア権推進ネットワーク理事長
専門は労働法・雇用政策。
1977年法政大学社会学部専任講師。助教授、教授、大学院政策科学研究科教授を経て、2008年同学大学院政策創造研究科教授。2013年同大を退職、名誉教授。労働政策審議会会長など、政府審議会等の委員を歴任。中央労働委員会会長、日本労使関係研究協会常務理事、経済産業省社会人基礎力に関する研究会座長、経済産業省社会人基礎力育成グランプリ審査委員会委員長なども務めた。

主な著書
『雇用と法』(放送大学教育振興会、1999年)
『労働者派遣法の改正と職業紹介の見直し』(教育文化協会、2000年)
『職業キャリアをどう支援するか』(教育文化協会、2003年)
『労使コミュニケーションと法』(労働政策研究・研修機構、2006年)
『キャリア・チェンジ! : あきらめずに社会人大学院! 新たなキャリアを切り拓こう』(生産性出版、2013年)
『雇用政策とキャリア権-キャリア法学への模索』(弘文堂、2017年)

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